姫路文学館のご好意により、下記の通り展示されたものを提供頂き、掲載させていただいております。
はじめに
奈良時代の初めの和銅6年(713)年5月2日、
政府は各国々に次のようなことを記録した報告書を出すよう命じました。
・ 地名に好字(好き字、ふさわしい字)をつけること
・ 銀や銅、草木、鳥や獣、魚や虫などの種類
・ 土地が肥えているか、やせているか
・ 山や川、原野の名前の由来
・ お年寄りが古くから言い伝えていること
これは、中国にならい「律令」という法律にもとづいた中央集権体制を整備した政府が、各地の地理や特産物、伝説を把握し政治に生かそうというものでした。
(今でいう国勢調査のようなイメージでしょうか?)
この命令によりそれぞれの地域で作られた報告書「解」がのちに「風土記」とよばれます。
しかし、その内容がほぼ完全に残っているのは
「播磨国風土記」「常陸国風土記」「出雲国風土記」「肥前国風土記」「豊後国風土記」
の5つだけ。
なかでも「播磨国風土記」は最も早く作られたと考えられています。
なぜなら、「播磨国風土記」では土地の名前を「○○郡(こおり)○○里(さと)」と書き表していますが、霊亀3(717)年には「里」は「郷」と改められ、「郷(さと)」の下に新たに「里(こざと)」を置く郷里制が始まったとされるからです。
つまり、「播磨国風土記」は霊亀3(717)年以前にまとめられたというわけです。
※郷里制の始まりを霊亀元(715)年とみる説もあります。
「播磨国風土記」には、千三百年前の播磨の人々にとっての「むかしばなし」がいっぱいつまっています。
ここに報告された地名は、今もたくさん残っています。
祖先がのこしてくれた地域の記憶装置「播磨国風土記」。
その魅力をさぐってみましょう。