古の播磨を訪ねて~赤穂市編 その5
今回は、赤穂市東有年の沖田遺跡公園を訪ねました。上郡町を訪問するたびに右折した国道2号「有年原」の信号を通り過ぎること約1.9㎞、国道沿いの南に茅葺建物のある遺跡公園が見えてきます。
ところで、この有年地区には「有年原・田中遺跡」や「野田2号墳」など、弥生時代後期から古墳時代にかけての史跡が多く残っています。千種川が流れ、山や平地もあり、はるか昔から人間にとって生活しやすい場所であったと考えられます。また、医学博士松岡秀夫先生が開かれた「有年考古館」もあり、古代史に触れることのできる街といえます。
さて、当日は、管理人さんに色々と話を聞くことができました。ここ東有年・沖田遺跡公園は田園風景が広がる中にあります。この公園周辺では、ほ場整備に伴って調査が進められた結果、縄文時代後期(約3500年前)から室町時代(約600年前)にかけての遺構や遺跡が沢山見つかっています。その中で、公園は道を挟んで南側が「弥生時代ムラ」、北側が「古墳時代ムラ」として二つのゾーンに分かれて整備されています。
「弥生時代ムラ」には、弥生時代後期(約1800年前)の居住跡を復元した建造物があります。中でも、直径12mもある巨大な2号住宅は、通常の弥生式住宅よりは傑出した大きさで、兵庫県下でも最大級と言われています。
一方、「古墳時代ムラ」周辺では、古墳時代後期(約1400~1450年前)の竪穴住居跡が密集した状態で、また、高床建物も発掘され、そこからさまざまな遺物等(全国的にも珍しい土馬)が出土しています。それらは、当時のムラの成り立ちや生活の様子を考える上で重要な遺跡であることから、平成4年3月に兵庫県の重要文化財(史蹟)に指定されました。
この地では、上記のように、様々な出土物や遺跡が多く発掘されていることから、古代より高度な文明が栄えており、ここを統治するかなり有力なリーダーがいたのではないかと、想いはいつしか古代へと馳せていました。