古の播磨を訪ねて~福崎町編 その5
應聖寺(おうしょうじ)
6月の下旬、福崎町高岡の天台宗妙見山應聖寺を訪ねました。播但連絡有料道路の福崎北ランプで降りて、JR福崎駅の南を走る県道406号線を約2.5㎞ほど真っ直ぐ西へ進み、途中県道407号線に乗り換えて約900m、應聖寺に到着です。
寺伝によれば、白雉(はくち)年間(650~686年)に法道仙人によって開基されたと伝えられています。法道仙人はインドから渡来し、法華山一乗寺や御嶽山清水寺など、播磨地方に多くの寺院を開いたとされている高僧です。その後、文永2年(1265)に祐運大徳によって中興され、更に、南北朝時代には播磨守護職の赤松則祐の祈願所として再興され、七堂伽藍が整えられたと伝わっています。
この應聖寺は『沙羅の寺』として有名で、境内には沙羅の樹が200本以上あるといわれ、当日は満開の沙羅の花を堪能しました。一番奥には「さらりん」と呼ばれている「沙羅の樹の林」があります。沙羅の樹は、朝に美しい純白の五弁の花を開き、夕べには落下することから世の無常を表すものとして、平家物語の冒頭に「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」と出ています。
次に、本堂の南側には「涅槃の庭」があります。ここには、先代の住職桑谷祐廣和尚が延べ30余年の歳月を費やして制作した涅槃仏の頭と足があります。胴体はサツキの木を幾本も植え付けていて、花衣をまとう形になっています。
訪れた当日は、先代の奥様にお話をお聞きすることができました。祐廣和尚が余命3ヶ月と医者から宣告された時には、足の部分はまだまだ未完成の状態だったそうです。それから、体調不良の中、12年の歳月を費やして仏足石を完成させた後に、亡くなられたということでした。先代の並々ならぬ思い入れで、春夏秋冬季節ごとに衣を変えるこの見事な涅槃仏を完成されたという話をお伺いして、感動せずにはおられませんでした。
あらためて、涅槃仏の顔を拝見しますと、その穏やかな顔は参拝者である私を温かく迎えていただいているような気がし、しばらく、そこに佇んでしまいました。