古の播磨を訪ねて~多可町編 その5
善光寺のイブキ
6月中旬に、中区東安田にある善光寺のイブキを訪ねました。中国自動車道滝野社ICで降りて、国道175号線を北上。『風土記紀行』の取材でこの175号線を何回通ったことか、と過去に思いを馳せながら西脇市の上戸田南の信号から国道427号線へ。西田町北の信号で、国道427号線から分かれ、ひたすら北進。県道139号線との交差点、東安田の信号を右折して道なりに約1㎞、目的地に到着です。
ここ医王山善光寺は妙心寺派に属し、本堂と薬師堂だけの無住の小さなお寺です。本堂に安置されていた阿弥陀立像は、現在は兵庫県立歴史博物館に寄託され、薬師三尊は、行基作と伝わる平安時代末のものです。薬師堂内には「願掛け石」と呼ばれている穴の開いた石が沢山供えられていて、いつの時代の物か不明ですが、治病を願う庶民信仰の名残と考えられているようです。(鍵がかかっていて見ることはできません。)そして、境内の薬師堂の前に威風堂々とそびえている巨木が今回目指してきたイブキです。このイブキは兵庫県の天然記念物にも指定されています。
説明板によると、高さ約17m、根回り約5m、樹齢500~600年とありました。言い伝えによると、戦国時代末期の天正年間、織田信長の命で、明智光秀がこの寺を攻め、薬師堂に火を放った際、本尊の薬師如来像は少しも燃えなかったため、怒った光秀が、地面に杖を突きたてると、その杖がたちまち根を張り、芽を吹き、このイブキになったといわれています。現在の巨木は、イブキ独特のねじれや、皮肌がむき出しになっていて、勇壮さを一段とひきたてています。
さて、この中区は、酒米の王者「山田錦」の母である「山田穂」を生んだ地です。その「山田穂」に父親品種の「短棹渡船(たんかわわたりぶね)」を交配し、昭和11年(1936)の水稲原種改廃協議会で新原種として認められて誕生したのが「山田錦」です。多可町では、平成5年から毎年日本酒の日である10月1日に歌手の加藤登紀子さんを招いての「日本酒の日コンサート」や、平成18年には、「山田錦」生誕70周年を記念して「日本酒で乾杯の町宣言」などが行われています。多可町の山紫水明が作り出した「山田錦」、日本酒愛好家で「はりま酒文化伝道師」でもある筆者は同じ播磨人として、いつまでもこの「山田錦」が酒米の最高峰として君臨することを願いつつ、多可町をあとにしました。