古の播磨を訪ねて~稲美町編 その4
高薗寺
今回は、播磨地方が祭り一色になる10月中旬に稲美町野寺の「野寺山高薗寺(のでらさんこうおんじ)」を訪ねました。加古川バイパス明石西ICを降りて左折して県道84号線を北へ。六分一、天満大池の信号をさらに越えて、上新田の信号を右折して県道65号線に入り、「高薗寺前」の信号を左折すると、約100mほどで「高薗寺」に到着。ご住職はお留守でしたが、幸い坊守様(ぼうもりさま:ご住職の奥様)がおられ、色々とお話を聞くことが出来ました。
寺伝によると、このお寺は、650年頃に法道仙人が開基し、最も栄えた時には、塔頭(たっちゅう)・宿坊等含めて32もの坊が軒を連ねていましたが、天正6年(1,578年)3月~天正8年(1,580年)1月にかけての羽柴秀吉の三木攻めで大半は消失してしまったそうです。
現在のご本堂・庫裏・山門等は、阪神淡路大震災後に建て直されたものですが、その立派さ、また境内の広さには、ただただ驚くばかりでした。
高薗寺といえば、何といっても、稲美町指定の民俗文化財になっていて、毎年2月9・10日の夕刻に観音堂で行われる鬼追式が有名です。稲美町郷土資料館では、この鬼追式のビデオを見せていただくことが出来ました。
毘沙門天の化身の赤鬼・不動明王の化身の青鬼が、太鼓とほら貝の音に合わせ、松明をかざして舞い踊るその姿は豪壮です。夜の帳が降りる頃、燃え盛る松明を境内に放り投げ、見学者・町民の安全を祈願します。二日間で100本近い松明を投げるようです。そして、最後には、それぞれの面を参拝者の頭にかぶせて、この1年の無病息災を祈ります。
ご本堂の東には、西国三十三ヶ所・四国八十八ヶ所巡りもできるように寺名を彫り込んだ沢山の石仏が安置してありました。約200体ほどあるどの石仏も大きな石をくり抜いたもので、ようよく見ると表情が微妙に違っており、楽しくなってきました。
お訪ねした当日は、熱心に西国三十三ヶ所の石仏を参拝しているご婦人の姿が見受けられました。訪問させていただいた私も、西国三十三ヶ所・四国八十八ヶ所を一息に参拝したような、こころなしかありがたい気持ちになって、稲刈りの済んだ田やコスモス畑を車窓に見ながら帰路につきました。