古の播磨を訪ねて~福崎町編 その4
岩尾神社
10月の下旬、網干の魚吹(うすき)八幡神社の秋祭りも終わり、いよいよ秋も深まってきたころに、福崎町東田原の「岩尾神社」を訪ねました。当日は、まさに「天高く馬肥ゆる秋」という快晴の空でした。
このお社の創建は、正歴2年(991)で、慶芳上人が同じ東田原にある神積寺の鎮守社として勧請したのが始まりと伝えられています。その後、江戸時代に入ってからは、2代将軍徳川秀忠や初代姫路藩主池田輝政の庇護厚く、現存の本殿はその当時のもののようです。一間社流造・こけら葺きで、小規模な本殿ですが、江戸時代初期の神社建築を今に伝える貴重な遺構として、兵庫県の重要文化財に指定されています。
ただ、現在本殿は大きな覆い屋で覆われており、しかも、正面は一枡6~7㎝の格子戸がはめてあり、自由に開け閉めができないため、間近で参拝することはできず、極彩色の塗り・意匠や工法を凝らしたつくりなど、細かいところまでは、見学することが出来ませんでした。
この他、このお社には、2つの県指定の重要文化財があります。その一つは、石造鳥居で、慶長16年(1611)に姫路藩主輝政の命により奉献されたと伝えられています。凝灰岩製で、土中から柱が直接立ち、高さの割に幅が広く、明神鳥居に属する古い形式の鳥居です。
「慶長十六辛亥年十一月十九日」の銘文が刻まれているようですが、風化が激しく、全てを読み取ることは出来ませんでした。
二つ目は、このお社の前の雲津川に架る凝灰岩で作られた反り橋式の石橋です。長さ約5.7m、幅約1.8m、川の底から橋の上面までの最も高い処で約3.1mで、簡素な橋ですが、橋の両側の勾配やその他、色々と工夫を凝らした跡が見受けられます。
刻銘等は見当たりませんが、一般的には、その様式から岩尾神社石造鳥居と同時期に造られたものと考えられています。
東田原の山々は赤や黄色とかなり色づいていて、当日の天気も良く、文化財探索という仕事の傍ら紅葉狩りを楽しむこともできました。ただ、その一方で、もうすぐそこまで、冬が来ているような少しひんやりとした風の気配も感じた福崎町巡りでもありました。