古の播磨を訪ねて~三木市編 その4
吉川(えがわ)の里
播磨国風土記には「吉川という名がついたのは、吉川の大刀自(おほとじ)の神がここにいらっしゃいます。そこで吉川の里という名がつきました。」とあります。
今回は、うだるような暑さの8月上旬に、三木市吉川町(よかわちょう)を訪ねました。
播磨国風土記に記載されている「吉川の里」は、現在の三木市細川から吉川町にかけての美襄(みのう)川流域を指すものと考えられています。
この「吉川の里」は播磨国風土記では、「美襄(みなぎ)の郡」に所属しています。平成17年(2005)の合併によって、「美襄(みのう)郡吉川町」から「三木市吉川町」に変わり、この時点で千数百年続いてきた「美襄郡」は完全に消滅してしまい、少し寂しい気持ちがします。あとは、吉川町と美襄川の名が後世に残ることを願うばかりです。
次に、「吉川の大刀自の神」ですが、この神をお祀りしてある神社は、残念ですが、吉川町では探し当てることができませんでした。
ところで、ここ吉川町の前田という所には、国指定の重要文化財「天津(あまつ)神社」が鎮座しています。
このお社は、延徳4年(1492)に村人が一致協力して建立したことが由緒記に記録されているようです。
どちらかといえば小さいご本殿ですが、正面一間・側面二間・入母屋造り・妻入り向拝の檜皮葺で、その組み物や彫刻は細かいところまで手の込んだ素晴らしいものです。平成15年(2003)12月に改修工事を終えて、鮮やかな朱塗りのご本殿が復活しています。
さて、今回の吉川町訪問では、県道316号線を天津神社を目指して気持ちよく車を走らせていました。
そのとき、すくすく育っている早苗の道路脇を、ふと見れば、ある大手酒造メーカーの「山田錦契約地」と書いてある幟があちらこちらの田に沢山立ててありました。改めて、ここが「山田錦の日本一の産地」と気づいた次第です。
そして、これぞ正しく「青田買い」と思いながらも、今までに口にした色々な大吟醸の銘柄が頭に浮かんできて、より楽しい吉川町巡りとなりました。 (美襄の郡)