古の播磨を訪ねて~宍粟市編 その3
雲箇(うるか)の里
播磨国風土記には「伊和大神の妻の許乃波奈佐久夜比命(このはなさくやひめのみこと)は、その姿の麗しい方でした。そこでウルカといいます。
波加の村 神々が国占めをなさったとき、天日槍命(あめのひぼこのみこと)が先にここにやってきて、伊和大神は後で来ました。そこで、大神は大変不思議に思って、『はからずも先に来たのだなあ』とおっしゃいました。そこで、ハカの村といいます。ここにやって来た者は、手足を洗わないと、必ず雨が降ります。その山に、檜・杉・檀(まゆみ)ツヅラ・ワサビ等が生えています。狼・熊が棲んでいます。」とあります。
ここの条に記載されている「ハカの村」は現在の「波賀町」のことです。また、伊和大神の奥さんがいかに美しかったかがよく分かります。その「ウルワシサ」から「ウルカ」という里名がついたというのです。いいお話です。現在、宍粟市一宮町には、閏賀(ウルカ)という地名が今も残っています。そして、そこには、その美しい「コノハナサクヤヒメノミコト」をお祀りしてある「川崎稲荷神社」が高畑山の麓に鎮座しています。当日は大谷宮司から色々とお話を聞くことができました。川崎稲荷神社という神社名がついたのは、明治になってからということでした。また、この「ウルカ」という地名を使ったものとしては「うるか公民館」、揖保川に架る「うるか橋」等があるということでした。
それから、この播磨国風土記の宍禾の郡にのみ、狼・熊の記述が4ケ所あります。日本狼は明治の初めに絶滅しましたが、宮司の話では月の輪熊は今もこのお社の裏山には生息しているということでした。
そして、この宍粟市のあちらこちらに「官兵衛飛躍の地・宍粟市」の幟があがっていました。これからも、播磨国風土記と官兵衛によってこの播磨の地を全国に発信し続けていければ、と思いました。
宮司のお話を聞いている間、キジやウグイスがずーっと鳴いており、緑色濃き山々に、揖保川の清流。山紫水明とはこのことと思いました。このウルカの里は「豊かな緑 豊かな水」であふれ、人々は農作物を育て、狩りをし、機を織って、きっとウルオイに満ちた豊かな暮らしをしていたのではないかと思いました。
〔宍禾の郡〕
川崎稲荷神社の地図はこちら↓
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