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はりま風土記紀行

古の播磨を訪ねて~西脇市編 その3

古の播磨を訪ねて~西脇市編 その3

黒田の里

播磨国風土記には「土が黒いので里の名としました。

袁布(をふ)山というのは、昔、宗形(むなかた)の大神の奥津島比売命(おきつしまひめのみこと:福岡県宗像郡の宗像神社に鎮座する三女神の中の一神)が、伊和大神の子を身籠って、この山にやって来ておっしゃいました。『私が子を産むときになったので、をふ(やりとげます)』、そこでヲフ山といいます。 支閇(きへ)というのは、宗形の大神が『私が子を産む月が尽ぬ(きへぬ:やってきた)』とおっしゃいました。そこで、キヘ丘といいます。」とあります。

今回は梅雨のさ中に西脇市黒田庄町を訪ねました。今までもそうですが、今回も地元の方々に色々とお教えいただきました。感謝・感謝です。先ず「オフ山」ですが、この山は、現在黒田庄町黒田の小字ワカオイ(エ)ノ谷の南西の方向にある小高い山で、「前山(マエヤマ)」と呼ばれている山が比定地とされているようです。次に、「支閇丘」は、黒田庄町田高(タコウ)と丹波市山南町井原との境にある「イタリ山」がそれと考えられているようです。ただ、少し淋しかったことは、「ヲフ・キヘ」という播磨国風土記に記載されている名称が、そのままではどこにも、何にも残っていなかったことです。残念!!

 

途中で黒田庄町岡372-2に鎮座しています式内社「兵主神社」を訪ねました。地元では「ひょうすさん」と呼ばれて、氏子の皆さんに親しまれています。このお社は羽柴秀吉が三木城の別所長治攻略の際、軍師黒田官兵衛が戦勝祈願に訪れたもので、その時の奉納金で改築された拝殿は、茅葺入母屋造の長床式で非常にどっしりとしていて、まさに重層観あふれたものです。現在は兵庫県の重要文化財に指定されています。

ご案内いただいた皆さんもそうでしたが、西脇市をあげて「軍師官兵衛」には非常に力を入れておられ、街中をはじめ、田植えをしている横にも「官兵衛の里・西脇市」と書いてある幟があげてあり、「黒田官兵衛生誕地」の石碑も建立されていました。また、地元に古くから伝わる「荘厳寺本黒田家略系図」には、官兵衛は8代城主・重隆の次男としてこの地で誕生したことが記してあるそうです。通説とは異なる話が、この黒田庄黒田には残っていますが、どちらが正しいとかというのではなく、「播磨国風土記」同様に「黒田官兵衛」によってこの播磨を全国に発信できればと思いました。

〔託賀(たか)の郡 黒田の里〕
兵主神社の地図はこちら↓
http://www.its-mo.com/map/top_z/126078615_485988176_16//...,,,