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はりま風土記紀行

古の播磨を訪ねて~赤穂市編 その3

古の播磨を訪ねて~赤穂市編 その3

大避神社(おおさけじんじゃ)

 このシリーズで、何回も触れていますように、現存している播磨国風土記には「赤穂の郡」の記載はありません。そこで、今回も播磨国風土記を離れた赤穂市散策紀行文になりました。今回は、新年1月4日に、初詣を兼ねて赤穂市坂越の「大避神社」を訪問させていただきました。

 日曜日のため、初詣客で混雑しているのではないかと心配していましたが、正月三が日が過ぎ、参拝客はまばらでした。車は海岸の駐車場に止めて、参道に入りました。すぐに立派な鳥居があり、しばらく進むと、右手に「懸社 大避神社」と刻印されたこれまた圧倒されるほどの標柱が建立されていました。その先の石段を登って行くと神仏習合時代の名残の隋神門が建っており境内へ。拝殿は一階唐破風、二階千鳥破風の豪華な建造物で、その拝殿の両翼には絵馬堂が長く延びている珍しい造りで、本殿は、明和6年(1769)再建の入母屋造の建築物でした。ここの絵馬堂には、船渡御のときに使用する和船(兵庫県指定有形民俗文化財)が保存されていました。

 この「大避神社」の毎年10月の第2日曜日に斎行される船祭りは、ご祭神の秦河勝(はたのかわかつ:聖徳太子の信頼が非常に厚かった人物)が、坂越に来た伝承を再現する祭りとして始まったと伝えられています。それは、大阪天満宮の天神祭り、安芸の厳島神社の管絃祭とともに、瀬戸内海三大船祭の1つとして広く知られており、平成24年3月には国の重要無形民俗文化財に指定されています。

 また、ここ坂越湾に浮かぶ小島は、秦河勝が生きて着いた島であることから「生島(いきしま)」と呼ばれており、原始林に覆われた島は、神域地として崇められ、樹木を伐採することは勿論、島に上陸することすら禁止されている聖域で、国の天然記念物に指定されています。

 一方、この生島を望む坂越地区の伝統的建造物群による古い町並みは、平成9年(1997)に全国都市景観大賞を受賞し、その昔、廻船業や漁業で栄えた港町の情緒あふれる町並みを今に残しています。正月早々この美しい町並みを散策して、今年も何かいいことがありそうな気がした坂越巡りでした。

大避神社の地図はこちら↓

http://map.yahoo.co.jp/maps?p=%E5%A4%A7%E9%81%BF%E7%A5%9E%E7%A4%BE&lat=34.7680761&lon=134.4319681&ei=utf-8&datum=wgs&lnm=%E5%A4%A7%E9%81%BF%E7%A5%9E%E7%A4%BE&v=2&sc=3&uid=0388866e79f8f246f06afd378c0293f7dab831cf&fa=ids