古の播磨を訪ねて~高砂市編 その3
ナビツマ
播磨国風土記には「郡の南の海に小島があります。名をナビツマといいます。滋賀の高穴穂(たかあなほ)の宮で天下をお治めになられた第13代成務天皇の御世に、丸部臣(まるべのおみ)らの先祖比古汝茅(ひこなむち)を遣わして国の境界をお定めになりました。そのとき、吉備比古と吉備比売(きびひめ)の二人がお出迎えしました。そこで、ヒコナムチがキビヒメと結婚して生まれた子が印南別嬢(いなみのわけいらつめ)です。この女性のきらきらとした美しさには、誰もかないませんでした。そのとき、第12代天皇であられた景行天皇がこの女性をめとりたいと思われ、大和からおいでになりました。別嬢はこれを聞いて、この島に逃げ渡って隠び(なび:隠れ)ていました。そこで、ナビツマといいます。」とあります。
イナミノワケイラツメについては、このシリーズ2回目の「褶墓(ひれはか)」でも触れました。風土記の時代の印南野は、明石・印南・賀古の三郡にまたがり、現在の明石市西部から高砂市にかけての播磨東南部の広大な平野部分になります。「イナミノワケイラツメ」とは、勿論固有名詞ですが、広義には「印南野の若いお嬢さん」という意味にも解釈されているようです。
今回は高砂市を訪ねました。ナビツマは、播磨国風土記に出ているように、かつては島でしたが、加古川の上流から運ばれてきた土砂や海からの砂等が堆積して砂州となり、陸続きなってしまったようです。現在は、兵庫県立高砂海浜公園に組み込まれて存続しています。この公園の北には、隣接して向島公園があり、そこには、青年の家・多目的球場・テニスコート等が整備されています。県立高砂海浜公園には、数えきれないほど沢山の様々な大きさの松(兵庫県内では1、2を争うほど沢山植わっているのではないでしょうか)と白い砂浜があり、その前の海には、古代播磨国風土記のナビツマを彷彿とさせる橋の架かった人工島も設けてあります。この海浜は、日本の白砂青松100選にも選定され、一年を通して高砂市民の憩いの場となっているようです
〔印南の郡 含芸(かむき)の里〕
県立高砂海浜公園の地図はこちら↓
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