古の播磨を訪ねて~市川町編 その2
波自賀(はじか)の村
このシリーズ第5回目の神河町編「堲岡(はにおか)の里」のときに、大汝命(おおなむちのみこと)と小比古尼命(すくなひこねのみこと)の我慢比べの話を取り上げました。その播磨国風土記には「大汝命が大便をなさったとき、笹がその便をハジキ上げて、大汝命の着物につきました。そこで、波自賀の村という名が付きました。」とあります。
今回は平成25年11月下旬のまさに秋晴れの日に、市川町出身・30歳高校理科・現役陸上部顧問の教師を道先案内人として、市川町を訪ねました。先ず、風土記に記載されている「ハジカの村」を探しました。先達のお蔭で、市川町のコミュニティバス停の「初鹿野(はしかの)」をすぐに見つけることができました。近くの民家何軒かに尋ねてみますと、皆さんがおっしゃるには「このあたりは、市川町屋形で小字を『はしかの』と言います。」とのことでしたし、その名前が播磨国風土記に由来していることもご存知でした。「初鹿野山」は「初鹿野」地域の東側にそびえている山で、市川西側の「市川町澤」地区から見ますと紅葉した三角形の美しい山でした。
その後、県道34号線を岡部川沿いに車を走らせて、市川町上牛尾2038の「笠形神社」を目指しました。今まで何回も参拝に上ったという若い先達は軽やかな足取りでしたが、私は勿論右手に杖をついての上り下りになりました。麓の第一鳥居を過ぎた後、すぐに、杉の木を登る「リス」を発見しました。自然界の「リス」を見た喜びもつかの間、進むにつれて心臓がおどりだしましたが、50分かけて「笠形神社」に着きました。
本殿の右前方(中宮の正面)の、高さ50m、根回り9,5mの「御神木・杉」に圧倒されました。いかにも神様が宿っていらっしゃるような、えも言われぬ巨木でした。ところで、現在平成の大修理が行われている姫路城ですが、昭和の大修理の時に、その当時のこのお社の「御神木であった檜」を「姫路城西の心柱の上部」に使用したことを御存じの方も多いと思います。そのあとには、2世の檜が植えられていて、根回り直径30㎝ぐらいにまで成長していました。「はやく大きくなれ檜!」と祈ってお社をあとにしました。
(神前の郡 堲岡の里)
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