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はりま風土記紀行

古の播磨を訪ねて~佐用町 編 その2

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江川小学校
江川小学校

吉川(えかわ)

播磨国風土記には
「元の名前は玉落川です。伊和大神が身に着けておられた玉が、この川に落ちました。そこで玉落川といいます。
今、吉川と言いますのは、稲狭部大吉川(いなさべのおほえかわ)がこの村に住んでいましたので、吉川といいます。
その山に黄蓮(カクマグサ)という薬草が生えています。」とあります。

9月下旬の素晴らしい秋晴れの日に佐用町の「江川」へ行っきました。
ここには、中国山地に源を持ち、佐用町の地元で「願應寺」と呼ばれている所で佐用川に合流する「江川川」が流れています。
この「江川」という名前のもととなった「イナサベノオホエカワ」という人物は、出雲国出身で製鉄業に従事していたのではないかといわれています。
現在の島根県出雲市の出雲大社の西に、旧暦の10月に日本国中から八百万の神様がお集まりになるというそれはそれは美しい砂浜があり、そこを「稲佐(イナサ)の浜」と呼んでいることと関係があるようです。

次に、佐用町大畠(おおばたけ)133には、「江川神社」が鎮座しています。この神社の本殿は、室町時代中期の文案4年(1447)の創建で、佐用町内最古の建築物です。
また、町内唯一の県指定の重要文化財建築物でもあります。
本殿は、屋根は全面、側面も部分的に仮屋で覆われて雨風をしのいでいますので、本殿の全体像をはっきり見極めることはできませんでしたが、組み物等、かなり細部にわたって意匠を凝らしたものでした。
また、佐用町豊福278番地には「佐用町立江川小学校」があり、前述の「江川川」・「江川神社」同様に古代からの地名を今に伝えています。
筆者が訪ねたときは残暑厳しき折でしたが、炎天下の運動場でマーチングバンドの稽古を、児童・先生一体となって行っていました。
「運動会で披露するのだろうなあ」と思いながらときの経つのも忘れて、しばし見入ってしまいました。 最後の「カクマグサ」という植物ですが、現在「オウレン」と呼んでいる漢方薬の古名で、福井県や京都府、兵庫県では栽培しているようです。
そして、この名前が播磨国風土記にはじめて見えることから、播磨地方でも古代から栽培されていたのではないかといわれています。

[讃容の郡 讃容の里]

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