播磨広域連携協議会

はりま風土記紀行

古の播磨を訪ねて~姫路市 編

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塩阜神水
塩阜神水

塩阜(塩阜神水:しおおかしんすい)

播磨国風土記には
「この丘の南に塩水の出るところがあります。
縦横それぞれ三丈位(約9m)、海から離れること三十里程(約16km)、 底に小石を敷き、周りに草が生えています。
そこは、海に通じていて満潮のときは、 深さ三寸ばかり(約9cm)になり、 牛・馬・鹿などが好んで飲みます。
そこで塩阜と名づけました。」
とあります。

現在、姫路市林田町林田には、 約3m四方を玉垣をめぐらし「塩阜神水」と刻された石の標柱が建立されている場所があり、 ここが、風土記記載の「塩阜」に比定されています。
その昔、石清水八幡宮から林田の地に八幡神を勧請 (かんじょう:神仏の霊を別の所に迎えてまつること)するとき、 小烏帽子(こえぼし:烏帽子をかぶった子供)36人がここで「禊」をしたという故事にちなみ、 今も林田町の八幡神社と式内社祝田(はふりた)神社の秋祭りの潮掻きは この「塩阜」の神水を使って行われています。
さて、この「塩阜神水」へは、これまで何度も訪れましたが、その都度水量は違っていました。
つい最近訪ねたときは、残念でしたが干上がっていました。
暦を見れば、姫路地方は丁度大潮の干潮の時間帯でしたので、その影響を受けていたのでしょう!?
風土記記載当時の海岸線は、今よりはかなり内陸部であったと思われますが、 風土記の記述のように本当に「塩阜」が海に通じていたかどうかは別にして、 海からはるかに離れていても潮の満ち引きの影響を受けていたと考えていたこと自体、 古代人の夢・ロマン・そして、信仰心の篤さといったものを感じ取ることができますね。

[揖保の郡 林田の里]