古の播磨を訪ねて~赤穂市 編
伊和津比売(いわつひめ)神社
非常に残念なことですが、播磨国風土記には赤穂の郡の全体が欠落しており、
また、諸本による逸文も存在しないため、
この郡に関しては何の手掛かりも残されていません。
そこで、今回を含め、相生市編・上郡町編の「はりま風土記紀行」では、
風土記を少し離れた歴史紀行にしたいと思います。
赤穂市といえば「討ち入り」となりますが、その「赤穂義士」と少し関係のある赤穂市内唯一の式内社である伊和津比売神社に参拝に行ってきました。
このお社は延喜式神明帳の赤穂郡の3座の筆頭に記載されている由緒ある神社です。
ご祭神は伊和津比売大神で、その昔、海上の「八丁岩」に鎮座していましたお社を、天和3年(1683)に浅野内匠頭長矩が現在地へ遷座たまわったそうです。
海に面した大鳥居を下って行くと遊歩道に出ました。そこから先も石段があり、海中に達するようでしたが、立ち入り禁止になっていましたので、残念でしたがそこで足は止めました。
当社は、古来「御崎明神」と呼ばれていて、航海安全や大漁祈願の神様として手厚い信仰を受けてきています。
また、古くから、若い男女による姫神信仰が盛んなようでした。
そして、ここ数年は縁結びのご利益のある「姫御守」が若い女性を中心に人気を集め、阪神間からわざわざ買い求めてくる人や、
「おかげさまで大願成就しました。」
とお礼参りに再来する人もいるということです。
その「姫御守」は長さ3.5cmほどの小判型で、赤い着物を着た姫を綿布でかたどって、かわいらしく微笑んでいる顔の部分は一体一体手書きだそうです。
また、ここからの眺望は抜群で、たまたま晴れた空気の澄んだ日だったためか、家島諸島・小豆島はすぐそこに、そして、明石海峡・鳴門海峡・四国までが手に取るように見ることができ、老体の私には、上記の「姫御守」のご利益は別としても、はるばる赤穂の地まで足を運んだ甲斐のある一日でした。
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