古の播磨を訪ねて~市川町 編
川辺(かわのへ)の里・勢賀(せか)
播磨国風土記には
「この村は川の辺りにあります。そこで、川辺の里と名前がつきました。」
とあります。
ここに出てくる川は現在の市川のことと考えられ、また、市川町には町立川辺(かわなべ)小学校があり、この一帯が風土記記載の「川辺の里」に比定される場所と考えられています。
続いて播磨国風土記では、
「勢賀というわけは、応神天皇がこの川で狩をなさいました。
猪・鹿を沢山ここにセキ(逃げ道をふさぎ、追い)出しました。
だから、勢賀と言います。」
とあります。
この勢賀は、現在の市川町の上瀬加から下瀬加一帯のことと思われ、ここを流れる川は笠形山を源流として市川町西田中で市川と合流する岡部川のことと考えられています。
風土記を紐解いていて、いつも思うことですが、今から千数百年も前に使われていた土地名等が、紆余曲折はあるものの、連綿と受け継がれて現在に至り、上記の川辺小学校をはじめ、瀬加小学校・瀬加中学校等と学校名などにもなって今に残っていることに対して、地名歴史の偉大さを感じるとともに、ほんわかと心温まる感じがいたします。
[神前の郡 川辺の里]
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