古の播磨を訪ねて~加東市 編
端鹿(はしか)の里
播磨国風土記には
「その昔、神が村々に木の種をお分けになっていましたが、この村にやって来たとき足りなくなってしまいました。
そこで、『ハシタなるかも(半端になったなあ)』とおっしゃいました。
そこで、ハシカという名がつきました。
今もその神が鎮座していらっしゃり、この村では、山の木に実がなりません。
槙・檜・杉が生えています。」
とあります。
現在の加東市立東条東小学校(加東市椅鹿谷56:はしかだに)辺り一帯の話と考えられ、地元では今も「はしかの里」と言われています。
さて、播磨国風土記のこの「端鹿の里」の条には、何とおっしゃる神様が、何の木の種を分け与えられたかは記載されていません。
しかし、神様はこの地で種が半端になったことを忘れておられませんでした。
それから千数百年後に、神様はこの地に「山田錦」という素晴らしい酒米のモミ種を蒔いてくださり、日本一の酒米所としてくださいました。
[賀毛の郡 端鹿の里]
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