播磨広域連携協議会

はりま風土記紀行

古の播磨を訪ねて~太子町 編

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太子町原
太子町原

大見山(おおみやま)

播磨国風土記には
「応神天皇が、この山の峰に登り土地の繁栄を祈って国の四方をご覧になられました。
そこで大見といいます。天皇が立たれた所に岩があります。
高さ三尺(約90cm)縦三丈(約9m)幅二丈(約6m)です。
その岩の表面に所々窪んだ跡があり、これを名づけて御沓(みくつ)また御杖(みつえ)といいます。」
とあります。

現在、この大見山は太子町と姫路市の境の標高165mの壇特山に比定されています。
その山容は小さいながらも(と言っても播磨平野の山々の中では一つの山としては一番大きいと思われますが)威風堂々としており、太子町を代表する山です。
その頂上の大きな岩には風土記に記載されているように、天皇が岩の上を沓で踏み、杖をたてたと伝えられている「御沓・御杖」と思われる窪みが沢山あります。
山の北よりの中腹で岩に腰掛け、一休みしながら太子町原の福井大池や京見山を望んで古の世界にロマンを馳せている時、低い地響きをたてながら壇特山から出てきた新幹線が颯爽と走り抜けていくのを見て、ふと現実に戻りました。

[揖保の郡 枚方の里]

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