播磨広域連携協議会

はりま風土記紀行

古の播磨を訪ねて~神河町 編

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播磨風土記 埴の里
播磨風土記 埴の里

堲岡(はにおか)の里

播磨国風土記には
「大汝命(おおなむちのみこと)と小比古尼命(すくなひこねのみこと)の二柱の神様が、埴(赤土の粘土)の荷物を背負って歩いて行くのと、便意を我慢して歩くのとどちらが遠くまで行けるか、という我慢比べをしました。
何日か経って我慢しきれなくなったオオナムチノミコトがとうとうその場で大便をしてしまいました。
それを見て、スクナヒコネノミコトも、笑って自分も苦しかったことを告げ、埴を道端に投げ出しました。この埴が投げ出された岡を埴岡と、また、オオナムチノミコトの便が、笹の葉にはじかれて飛び散った場所を、波自賀(はじか)と言うようになりました。
投げ出された埴と便は固まって石に姿を変えました。」
とあります。

この里の話は、「古事記・日本書紀」の神話の世界とは全く異なったユーモラスな伝承です。
現在、神崎郡神河町比延(ひえ)に鎮座している日吉神社の辺りは、「埴岡の里」の伝承地といわれ、神社前の道脇には「播磨風土記 埴の里」の標柱が建立してあります。
そして、スクナヒコネノミコトが投げた埴から変わったと言われる大きな岩が社殿の裏山の中腹に注連縄をかけて祀られています。

[神前の郡 堲岡の里]

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