古の播磨を訪ねて~加古川市 編
褶墓(ひれはか)
播磨国風土記には、
「景行天皇のお后であられた印南別嬢(いなみのわけいらつめ)がお亡くなりになったとき、墓を日岡に作り、その遺骸を担いで、印南川(今の加古川)の西岸から東岸へ渡ろうとしました。
すると、川下から大風が吹いてきて、遺骸は川の中に引きずりこまれてしまいました。
探しても見つからず、ただ、櫛を入れる箱と褶(ひれ:女性が首にかけ左右に長くたらした布で、ひらひら振ると魂を奮い立たせる力があると信じられていたといいます)だけが見つかりました。
そこで、この二つを墓に葬り、褶墓と名付けました。」
とあります。
現在、日岡神社の東側に宮内庁管轄の日岡陵として存在していて、昭和45年頃までは、御陵護衛の小屋もあって、護衛官もいたそうです。
陵墓に登る途中では、梢の間からとうとうと流れる加古川を見渡すことができ、小鳥のさえずりを聞きながら風土記の時代にタイムスリップした気持ちになります。
[賀古の郡]
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